3月(丁卯)の日々観察日記~私にとっての木気とは~
2019年3月は私にとって少し特殊な月になるだろうと予測していたので、実際にどんな象意としてあらわれるかを観察しています。
3月は・・・
三合会局 亥卯未
東方合 寅卯辰
大運の「壬」と月の「丁」が木旺の大運のため化木します。
ということは、今月限定だけれど五行のバランスでみると木気が異常に多くなる時期なんですね。私にとっての木気は「財」にあたります。
財はお金をあらわすこともありますが、人材であったり何かの行動の結果であったり色んな意味に取ることができます。
さあ、私の命式に木気が与える影響とは何か?
丁壬化木で木気旺盛になる状態は、実は2017年の1年間がそうでした。2017年に起こったことは本当にたくさんあったけれど、今振り返るとテーマは「人間関係」「子供に関する活動」という感じでしたね。いつになく学びの多い年だったことは間違いないです。
今月もやっぱり同じようなことがもうすでに起こりました。子供の活動に関わる人間関係・・・保護者同士の関わりですね。何かモメたとかでは全然ないけれど自分的には「ああ~しんどいぞ」というような出来事がやっぱり起こったのです。
しかもそれが集大成のように起こった日の干支が「甲寅」・・・笑
四柱推命は日の干支も本当にあなどれない。
ここから分かったのは、私にとっては過剰な木気は今の時点では「子供に関する活動(人間関係)など」ということになるわけですね。
それは、私にとっては今回の人生における大きな課題のひとつなんだと気付きました。
試練は「官殺」である場合もありますが、私の命式の場合は官殺が印を生じてしまい日干を剋することができない命式です。なので、直接剋されない官殺は試練にはならないということですね。官殺は女性にとっては男性性であり仕事でもある。私の日干を攻撃してくるものは旺盛な木気だけなんですね。ということは、今回の人生では男性や仕事のことよりも、私にとっては子供に関する活動や人間関係の方が課題になっているのでしょう。
そうか、だから私は今育児をしているのね。
育児を通じて学ばなければならないことがまだまだあるのね。
だって、56歳まで私の大運は木旺・笑
まだまだこなさなければならない課題が多そうだけれど、自分の人生の一部を定点観測してみることで分かってくることは実はけっこう多いです。
自分にとって、次にやってくるものはどういう作用をするか。
そして、その対処法は何か。
今回のこの私自身の例でいえば、対処法としては日干である金が木に直接剋されるのを緩和するためには間に「水」を挟むこと。「水」は私にとっては自己表現であったり行動すること。ちゃんと思いを言葉にしたり、迷ったら行動するというようなことが身を助けるということなのかもしれません。
まだあともう少し、3月は続きます。
身強・身弱に生まれたその意味②
前回の続きで、次は身弱について。
《身弱》
日干のエネルギーが弱く、身弱の人は人と共に協力し合って社会を作り上げていくことができるタイプの人が多いです。
命式によっては、あまりに弱く自分を守るために表面的には攻撃的になってしまうような人もいますが、基本的には人と協調しながら和を大切に生きていくのが本来の道です。
命式に財や食傷が多い身弱の人は社交的で交遊関係が広いタイプが多いですね。自分のことよりも自分以外に意識が向きやすいため、よく気が回り周囲のことをよく観察しています。
一方で、人目が気になるので見栄っ張りになったり八方美人になってしまうこともあります。自分の気持ちを後回しにしてしまい、知らず知らずのうちにストレスを溜め込んだり疲れたりすることも。
身強のように一度にあれもこれも手をつけるエネルギーはないので、物事に取り組むときは順序や段取りが大切かもしれません。
現代の日本社会は、集団行動や規律をきっちり守り人と協調することを強く求められる側面があるので、組織や集団に属するのであれば身弱の人は身強の人よりも生きやすいとはいえるかもしれません。
身強身弱について少し書いてきましたが、これはあくまでも四柱推命で鑑定する上でのひとつの情報にすぎません。
身強だから、身弱だからどうということはまったくなく、良い悪いもない。ただ、その人の在り方だということ。
大運によっても、身強になったり身弱になったり変化しますし、その時期ごとに用神も変わります。ある時期だけすごく身弱になったり身強になることもあります。
すべては常に変化し続けている
ということは大前提です。
この前提なしに、身強身弱を語ることも四柱推命を語ることもできません。
ただ、人生に行き詰まった時に今どう動けばこの状況を打開できるか?というヒントにはなるかもしれません。
身の強弱だけでなく、命式の五行の在り方や通変ででるパーソナリティー、大運や環境的要因など本当にその人の人生をみようとするとたくさんの情報が必要です。俯瞰したり至近距離で見つめたりしながら、想像力豊かにその人の人生を感じながら。
まだまだ道のりはあまりにも遠いけれど、果てしなく奥深いこの四柱推命の世界からはこれからも抜け出せそうにはありません😁
身強・身弱に生まれたその意味
四柱推命でその人の在り方や開運法などをみる時に、基本的な情報としてかなり重要になってくるのが身強・身弱という考え方です。
人は一人ひとりまったく違った固有の命式を持って生まれてきますが、日干と月支の関係性を中心とした身の強い弱いが生まれながらに決まっています。
それは宿命的に与えられたエネルギーなので、良い悪いという概念でとらえるものではなく軽自動車とダンプカーのように同じ車でも用途も違えば活躍するフィールドも違うというような感じかもしれません。これは個々の命式にもいえることですよね。
《身強》
身強の人は、強ければ強いほどそのパワーを人以上に発散させて生きていく必要があるし、その有り余るパワーを誰かのために役立てていくというお役目があります。
内側に溜め込んでいると病気になってしまったり、パワーの使いどころを間違えると人を傷つけたり他人に迷惑をかけ続ける人生になってしまう可能性だってあります。
身強の人はアドレナリン中毒ぽいところがあるらしく、その自分のエネルギー発散のために敢えて波乱万丈な人生を選びがちな傾向にはあるようですね。
そして、陰陽でいえば身強は陰陽でいえば「陰」的です。閉じて収縮していく方です。自分に意識が向くので、悪く出ると自己中心的になりがちで自分の話をしたがる人が多いとはいえます。基本的に、人のために何かしてあげたり誰かのために頑張れば頑張るほど開運していくのが身強の特徴といえますね。
生まれながらに強いエネルギーを与えられている身強の人は、お役目としてそれを生かして人のために使っていくことが求められているのでしょう。
潤沢なエネルギーをどう使っていくか?ということが課題でもあるかもしれませんね。
身弱の人の特徴については次回に♪
命式の風景からみる「それぞれの咲く場所」と相性関係
四柱推命の命式から仕事の適性や恋愛傾向などが分かるように、命式全体の景色をみてその人に適した活躍の場所、本来の在り方みたいなものが見えてくることがあります。
そして、恋愛結婚だけでなく人同士の相性をみたとき、その人と一緒に活動することで発展していくかどうかというようなことも見えてくることがあります。
有名人の例でみてみましょう。
昨年、M1グランプリで3年連続準優勝した漫才師「和牛」の2人。
お二人は特徴的な命式の風景とまれにみる相性だったので、検証してみました。
【水田さん】 1980.4.15 時刻不明
■ 戊 庚 庚
■ 午 辰 申
★現在の大運 甲申
【川西さん】 1984.1.29 0時半頃
庚 壬 乙 癸
子 戌 丑 亥
★現在の大運 壬戌
まず、このお2人の相性の何が一番すごいか。
2人の共通干支です。
水田さんの命式の「庚申」「庚辰」と、川西さんの「庚子」でなんと・・・
『大三合水局』ができます。これはなんかある相性といえます。
水気は水田さんにとっては「財」であり、川西さんにとっては「比劫」です。水田さんは川西さんと一緒にいることで、「財」が潤う=お金やファンに恵まれると考えることはできるかもしれません。
川西さんは、もともと水気が強く「亥子丑」が命式中にできています。28歳からは土旺の大運に入っているので、そのあたりからは比劫が強まることは川西さんの助けにはなっていますね。
しかも、水田さんの年柱と月柱という社会的な活動をみる場所が川西さんと一緒にいることで大きく膨らみます。ということは、一緒に仕事をすることで社会的発展に繋がるといえます。
そして、お笑い芸人としてのお2人の活動の仕方を命式の風景としてみてみます。
お笑い芸人といえば、けっこう身体を張ったり色んなことにチャレンジしたりととにかく幅広く動きがある方が最近は多い気がします。でも、和牛のお2人はあまり身体を張った過激な仕事はしないでどちらかといえば漫才に一番力を入れて活動しているようですね。
お話をきいていると、テレビにどんどん出たいというよりはこだわり抜いた漫才のネタで勝負している職人のようなイメージです。
お2人の命式を風景としてとらえてみると・・・
水田さんは「火山」で、
川西さんは「氷山」という感じですね、まさに。
山は動かないし、堂々とただそこにいる。
そして、存在感があるのでそこに人が集まってくる。
M1グランプリのような極度に緊張感のある場所でも、何か堂々とした雰囲気がお2人にはありましたね。若手漫才師の部類に入るそうですが、そうは見えない堂々とした風格があるのが和牛の2人の特徴的なところだなと思うんですよね。
性格的には、水田さんはロマンチストで川西さんは冷静でマイペースな感じにみえますね。表面的にはボケの水田さんが屁理屈を言う男性的な感じに見えていて川西さんが優しくてどちらかといえば女性的に見えていますが、本質的には川西さんの方が頑固で男性的な性格なのではないかなと思いました。
あまり売れない時代は漫才のネタにも動きが多いものもあったようですが、多分本来のお2人に合う在り方としては今のような緻密な独特のスタイルなのでしょう。
人には「それぞれの咲く場所」があって、その人らしい生き方ができるようになった時に輝きを放つのかもしれません。
日々の鑑定や出会いから実感すること
2月4日、己亥年がはじまりました。
昨年の戊戌年は、土気がかなり強い年でしたね。
吉凶がかなり極端に出ていた方も多かったかもしれません。
水気の強まる亥年は、私にとっては行動力が高まる1年になりそうです。
やんちゃ息子も幼稚園に行くので、限られた時間をフルに活用して色々と取り組んでいきたいと思います^^
最近の鑑定にて、実感したこと。
それはやっぱり、
命式のいわゆる良し悪しはその人の実際の人格の良し悪しとは必ずしも関係しているわけではない
ということが本当に多いということ。
一見、命式に五行がスムーズに流れていて日干もしっかりした身の強い人で決してバランスが悪くない。大運もどちらかといえば見方していて、命式は貴命とまではいかないかもしれないけれど、決して偏ってはいない感じ。
でも、そんな一見悪くない命式や大運を持って生まれた人でも、大人として言動も行動もものすごく未熟で自分の奥様に向かって「お前の家族が嫌いだ」と面と向かって言うような人もいるんですね。しかも、妻よりも自分の母親が好きというような。
大人としてはどう考えても未熟です。
これって、人生これまで苦労しなくともスムーズにいきすぎていたからこそ、というところが実はあるかもしれないですね。
挫折を知らない。
もちろん、皆がそうではありません。
ちまたの四柱推命では「あなたは良い命式だ」とか「あなたは命が悪いので結婚できない」「命式にこの星があるから不幸になる」というようなことをいとも簡単に言ってしまう占い師の方もいます。
でも、命式にはその人が「どう生きてきたか」という実際のところは出ていません。その人の人格レベルというのか、魂のステージというのか・・・そういうのは一切出てこないんですよね。
それってやっぱり、その人本人と会って話してはじめて分かることなんでしょうね。
逆に一見生きづらそうな偏った命式の人であっても、周囲と同じでなくて苦労をしたり、上手くいかないことが多くてたくさんつまづいて、それでもなんとか生きてきた強さがある人もいる。
そうやって、人の痛みや人生の厳しさを学んできている。
そんな人もいるんですね。
命式に良し悪しはない。
命式が教えてくれるのは、ただただその人の「在り方」であるということ。
お勉強として習うことと、実際に現場の鑑定から学ぶということはまた実感が全然違うところはありますね。
2019年も、色んなことを肌で感じて学びつつ。
今年もどうぞよろしくお願いいたします★
五行の「土」にまつわるあれこれ
五行シリーズの最後は「土」です。
土は凝集性(集める力)をもっており、大地や山には人が集まってくるように自分からは動かないけれど何かその魅力で惹き付けるというような意味があります。
土が命式に多い人は、命式にもよりますがフットワークが重めでどちらかといえば待ちの姿勢の人が多傾向にはありますね。でも、自分を磨くことによって多くの人が寄ってくるというようなこともあります。土が多いと若くても落ち着いた雰囲気の人が多いのも特徴です。
五行の「土」は、
季節と季節の間の土用を意味し、「中央」という意味もあります。
色で言えば「黄色」
身体の部分で言えば、胃や消化器系にも対応しています。
土には「育むけれども腐らせる」という相反する性質があり、それは母親的な質があります。
命式で金と土があり、そこで土が多すぎると「埋金」になってしまい金は自分の本来の力を発揮できなくなります。日干「金」の近くに天地に透出した土があるとそれは「母慈滅子(ぼじめっし)」の命といい、母親の愛情が子供にとっては良くはたらきにくい命となります。
金は土に埋まってしまうことを一番嫌います。
「戊」(陽の土)
戊(つちのえ)は、陽の土でありイメージとしては「山」です。
懐が深く大山のように寛容に誰でも受け容れるけれども、自分独自のテリトリーがありそれを犯してくる人がいると激怒します。ちゃんと自分の範囲というものを持っているんですね。
自己中心的なところもあるけれど、どっしりした安定感があり、根がある戊は特に頼りになるダイナミックな感じの人が多いですね。
戊が命式に多い場合は、甲によってしっかりと整えられることによって自制心のある人となります。そして、戊は過剰な水の勢いを止める防波堤のような役割もできます。壬が多すぎる命には戊が役立ちます。
冬生まれの戊と春や夏生まれの戊の人では、一見のイメージはずいぶん違います。
通変でいえば「偏財」に対応しています。
「己」(陰の土)
己(つちのと)は、陰の土でありイメージとしては「畑」や「平地」など平らな場所にある土です。
戊と違って平地の土であるため、親しみやすく庶民的な感じの人が多いのが特徴です。腰が低く勤勉で、一般的な価値観を大切にする人も多いでしょう。
でも実はとてもガンコなところもあり、自分なりのルールがちゃんとあるのでそれを守らない人にはまったく心を開きません。見た目では分かりにくいですが、実は己は十干のなかで一番頑固なところがあります。
己土は湿った土であるため「壬」や「癸」とは相性が悪く、命式においても近くにあって水によってドロドロになってしまうことを嫌います。
通変でいえば「正財」と対応しています。
土は五行の中でも独特な存在で、陰と陽、そして木火金水をすべて含んでいるのも特徴的です。
いまだに「土」についてはあまり本質的なところが掴みにくいような、なんだか不思議で謎が多い気がします。
他の四行のようなそれぞれの勢いのようなものはなく、なんでもすべてを飲み込んでしまうような底知れないものがあるような。
五行シリーズの次は、十干や十二支についてももっと勉強していきたいですね。
「自分と同じ熱量の人が同じ世界に生きている」というお話
この世界にはたくさんの人が生きています。
けれども、
実際は皆がおなじ世界に存在しているわけではなく、実は生きているこの世界で出会えるのは自分と同じ熱量を持った人だけなのだそうです。
熱量というのは、その人の人生に向き合う姿勢であったりひたむきさであったり、それはいくつかの意味が含まれていると思います。
熱というのは、エネルギーでもあるし一生懸命さのようなものかもしれません。
生まれてから死ぬまで出会える人の数って、存在している人の数からしたらほんのほんのほんの一部にすぎないですよね。しかも出会える人は全部自分で選べるわけでもなく、単なる偶然で出会っているのだとほとんどの人が思っています。私も、出会う人がすべて偶然ではないにしても偶然であるような人がほとんどだと思っていました。
だって、全部が必然のようには思えなかったから。
出会ってもすぐに合わなくなったり、通りすがりのような人もいるわけだし。
尊敬しているある方がおっしゃっていたことですが、
「人は自分と同じ熱量の人に惹かれる」
のだそうです。
一生懸命生きている人は、同じように一生懸命生きている人に惹かれるし、出会うことができる。
人は皆同じひとつの世界に生きているようで、実は同じ場所にいたとしても熱量が違いすぎる人同士はお互いが反応しないのだという。
そういわれてみると、なんだか分かる気もする。
きっと今、自分の周囲にいる人を見渡せば、自分の位置というか自分の在り方そのものが分かるのでしょうね。
ちょっと怖いハナシだけど、
「人は鏡」だというのは本当なんでしょうね。
熱量の話でいうと、人が持つ熱量というのは人にそのまま伝わるものですね。
この前、あまりに腰が痛いので格安のマッサージに行ったんですが、正直格安なので期待はしていませんでした。なんとなく「ほぐれたわ~」と思えたらいいかなと思っていたので。
施術してくれたのはまだセラピスト歴1年の若い人だったんですが、最初の一押しでかなり上手なんだと分かりました。技術云々は私には正直ちゃんと分からないけど、たしかに凝っているところをピンポイントで押してくれるし、ヒアリングをしながら丁度良い力加減でそんなに無駄話をすることもなく施術してくれる。
確実にお客である私の身体を良くしようという気持ちみたいなのがじわじわと伝わるんですよね。
あれって本当に不思議だけれど、たしかにそういうのって分かる。
まあこれは「自分との相性」のようなものもあるかなとは思うけれど。
今までマッサージには色んな所へ行ったことがあるけれど、ベテランぽい人で全然やん!とツッコミたくなる人もけっこういました。
それもやっぱり熱量が無関係ではないはず。
言葉や目に見えるもの以外で伝わることとか、何か人の内側のものが自然に伝わるとうことを実感したなあ。
というお話でした^^;