運命学の視点から「人間」を考える〜四柱推命と易の可能性〜

占いを超えたところにある東洋運命学の深さを実感したい占い師のブログ

水と火のバランスと女性の身体

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命式や大運での水と火のバランスは、人間の健康面に大きく影響しているといわれます。

人間の健康面と五行は密接に関係しているしそれは四柱推命である程度みることはできるようではあるけれど、健康についてはその人自身の心がけであったり色んな要素が実は絡んでいる。なので、命式や大運だけを見て決められない部分も多いのがほんとのところだと思います。

でも、水と火のバランスが大事と心から実感したのが、自分の妊娠&出産の時期です。


私は「火」がまったくない命式で幼少期から大運で「水」が旺じている時期が長かったんですね。でも、元々の命式に水が不足していたためか「腎・膀胱婦人家系」の「水」の問題が10代終わり頃から出てきて医師にも妊娠は難しいかもといわれていました。でも、なんとか2人の子供を出産することができ、それはどうしてだろうと子供たちが生まれた年の共通点などを調べていました。調べてみて分かったのは、子供2人が生まれた年はどちらも「火」が強く出ている年でした。

命式のつくりから見ると「火」はあまり欲しくない命だとばかり思っていたけれど、妊娠&出産するための身体としては「火」が必要だったということが分かったんです。大運の初旬から水旺で身体が冷え切っていたので、命を育むためには「火」の温かさが必要だったということなのかもしれません。本来「火」はあまり必要でない命式だけれど、健康面でみると「火」は必要だったということ。四柱推命というか、人間というのはきっとこういう矛盾がけっこうあるということを実感します。

運気の流れとしては良くないけど健康面は好調だったり、その逆だったり。精神的には満たされているけれど物質面で苦労していたり、またその逆もあったり。

そう考えると、運が良い時期悪い時期というような基準は実はけっこう曖昧なんだなあと思うんですよね。

人生とはそもそもそういう矛盾を孕んでいるもの、なんでしょうね。


そこがきっと、もやもやするけど味わい深くもあるところなんでしょう。

分かっちゃいるけどそうできない、感情があるんだもの

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中学生の男の子のお母様からの鑑定依頼を受けました。

その息子さんは、発達障害との診断を受けられたこともありお母様が何かと心配で色々と過干渉して育ててしまったため、依存心の強い子供になってしまったとのことでした。命式を見るとたしかにお母さんの勢いが強く、息子さんにとっては母親との関わりによって自立心が育たなくなる危険性も大いにある命だというのは一目で分かるくらいの、いわゆる「母慈滅子」の命でした。


正直にお母様にそのことを話し、見たまま感じるままお話させていただくと、お母様も息子に日頃感じている想いや分かってはいるけれどやっぱり心配で色々と口出しをしてしまうということを正直にお話してくださいました。親子間の問題は本当に強い感情がはたらくので難しいというか、簡単に「こうすべき」というようなことは言えません。同じ子供を持つ母親として、気持ちは痛いくらいに分かるから。そうしない方がいい、なんていうだけのアドバイスはあまり役には立たないし「正しいこと」を教えて欲しいのではないんですよね。そんな簡単な問題じゃない。私が相談者なら、きっとそう思うでしょう。

でも考えないといけないのは、やっぱり息子さんの本当の幸せは何かということ。

息子さんが自分で自分の人生を選び、自由にそして彼の思う「幸せ」を手に入れること。

それにはやっぱり、まだ今はお母様の力も必要です。


息子さんの将来が心配だ、人にバカにされないように立派に生きて欲しい。

そう願うお母様の気持ちは理解できるけれど、その心配は誰のための心配だろうか?

心配ばかりされている「自分」について息子さん自身はいつもどんなことを感じているだろうか?


なんだか私自身もものすごく身に積まされる思いがしました。

「他人の鑑定をしているけれど、これは私自身の問題でもある」そう強く感じました。

頭では分かっていても、感情が邪魔をして思うように子供に接することができないことって本当によくあるんですよね。友達になら簡単にできることでも、自分の子供のこととなるとそうはいかなかったりします。感情は時に物凄く厄介です。


しかし、冷静にお母様は理解を示してくださり、息子さんの意志を尊重しながらあたたかく見守っていきたいとおっしゃってくださいました。

人間は年齢を重ねるとどうしても自分の考えに執着してしまいますが、このお母様は息子さんのために自分を変えようとされていました。なんだか本当に私が感動してしまい、母親の息子への愛情の深さを感じました。子供の挫折や失敗さえも手出しせずにある程度見守るというのは、親としてはけっこう難しいことです。

お母様は、最初からなんとなくどうすべきかは気付いておられたのかもしれません。ご相談にこられるくらいですもんね。


その人がその時どう行動するか?

ということは命式にも後天運にも出てきません。

性格の傾向性や運気によってどのように左右されやすいかは分かっても、その人がどんな選択をするかはその人次第。


自分の感情と正面から向き合って、最善の選択をしていく。

その選択をするときに「感情」はけっこう手ごわいものなんですよね・・・。

この方の鑑定では、本当に色んなことを学ばせていただきました。


多忙につきブログの更新がけっこう滞っていますが、たくさん書きたいことがあります。

6月末に大阪で先生の講座を受講しに行った時の事もまた書きます♪


梅雨明けの暑い夏、まだまだこれからですが元気にいきましょう^^

命式の偏りはかけがえのない個性

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これは、四柱推命を学んできた中で私が最も救われた言葉。

 

この言葉があったから、四柱推命を今も学び続けていられる気がしています。

 

色々なほとんどの四柱推命の本には、命式の五行のバランスが良いのが何よりも良いことであり、極端に五行が偏っていたり忌とされる通変があるとその人はそれだけで不幸になるかのように書かれています。

 

良いか悪いか、ということのみが基準の四柱推命は本当に多い。

 

たしかに、命式でバランス良く五行の力量がありなおかつ上手く周流ができている人は人生が何事もスムーズに運びやすいです。そっちの方が何かにつけて生きやすいのは確か。これはまぎれもない事実。

 

命式が偏っている人は、その命にもよるけれどやっぱり普通じゃないところはあるのでどうしても生き方が不器用になったり、いわゆる常識から少し外れたところがあったりします。それが社会生活の中では程度は違えど生き難さになったりすることも。

 

でもそれは、もう生かすしかないものなんですね。

 

生き難いと嘆くよりも、逆手にとってそれを個性として磨いていく。

磨いていくことで他の人にはできないようなことができたり、唯一無二の存在になることもできる。偏っているなら、それをバランス良く正そうとしたちころで苦しさがあるのなら、もうそれを嘆くのではなくその人の生きやすい場所で個性を伸ばしていくということ。

 

普通でなくてもいい、その人が咲ける場所は絶対にある。

 

 

私が20代の時にはじめて四柱推命を学びはじめてから最初にぶつかった壁が、生まれながらにその人は幸せか不幸せかが大まかに決まってしまうような考え方が根底にある四柱推命がほとんどだったということ。

 

もしそうなら、もう運命学なんて学ばないほうが幸せだと私は思ってしまう。

 

自分の人生は自分で選んでいくものだからこそ、楽しい。

 

未来予測をしながら、自分自身の手で彩っていけるからこそ運命学の存在意義があるのではないかなと思う。

 

 

人生はどんな師に出会うかで大きく変わるものだと聞いたことがあるけれど、本当にそうだと心から思うんですよね。私の師も普通ではない、けれどゆるぎない信念と分かりやすくはないないけれど深い愛がある人です。

 

四柱推命で誰かの役に立てた時、生きていてよかったと思う。

 

最終的に私はどこにたどり着くのかはまったく分からないけれど、とりあえず面白いことを学び追求していくことが今の喜びです。

 

 

 

 

 

 

命式の裏側に隠れているものの影響〜四柱推命の奥深さを知る〜

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5月は1回しかブログを更新できずでした^^;

自分の心も現実の環境も、先月はドラスティックな変化が多かったですね。
長男、5月より元気に幼稚園に通っております・笑


四柱推命の命式にははっきりとあらわれてはいないけれど、その背景に隠れているその人の性質のようなものは鑑定時にしっかりと見ないといけないなと最近特に思います。

特に同じ五行が極端に多い人や、あるひとつの通変が命式に多いなどいわゆる「偏った命」であるとか、命式の干支の並びが特徴的である人なんかは一見命式にはないような個性が現実生活でも頻繁に顔を出すような気がしました。

実例自体はまだ多くなく、これまで私が習ってきたことと鑑定させていただいているご相談者様の命などから、そして自分自身の命式からそう感じます。


私自身のことでいえば、私は命式に戊土がとても多い命式なんですが、戊土の特徴とともにその正反対の五行である癸水の特徴がものすごく強い気がするんですね。癸である傷官の性質も昔から自分の中に色濃くあるなとは感じていました。でも、実際の命式に癸水は目立ってはいません。

これはなんだろうと、ずっと思っていました。


先生に命式の「背後に存在するもの」があると初めて聞いたときは結構衝撃的で、それがその人の人生にも深く関わっていると知ったときは謎が長年の謎が解けたような気持ちになりました。

そして、最近はそれを体感しているのでしょうね〜


戊土だったら癸水、のように正反対の干合相手が出てくることと、もうひとつは例えば乙木が沢山命式にあると甲木的な性質も同時に併せ持つというような陰陽反対のものが出てくることもあるようですね。

その反対もしかり、甲木過多だと乙木っぽい性格も併せ持っていたり。

風景としてみると分かりやすいですね。大木であっても沢山生えているところを上から見たりすると、パッと見草木がたくさん生えている平原のように見えたり。もちろん、いくら乙木に見えたとしても本来の性質は甲木というのは基本的にあると思います。

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命式をただの干支の並びというように二次元で捉えていては、本当に見たいものが見えない。

起こる出来事にしても、それを幸せかどうかを決めるのはその命式の本人次第。

だから、占い師が「幸せになりますよ」「不幸になりますよ」と軽々しく鑑定で言えることってほとんどないはずなんですよね。でもご相談を受けていると「このままでは一家離散する」「娘さんが不幸になる」といったようなことを簡単に言い放つ占い師の方が多くて驚くばかりです。「こんなことを言われたけどどうしよう」というご相談、けっこう多いです。


まだポジティブな決めつけなら良い時もあるでしょう。

でも、身もフタもないネガティブで救いのない決めつけをする占い師はけっこういて、じゃあご相談者様は何のために相談にきてん!(◎_◎;)(関西弁でた)と思うし、占うことによって不安を煽るだけならそんな無意味な占いってないよねと。


ちょっと話の方向がずれましたが、きっと人間というのは常に変化しているもので、ある性質の裏側には正反対のような性質も存在しているはずです。
命式の見方はどんな時でも一定であってはいけないような気がします。

それが四柱推命、東洋思想の面白さであり難解さでもあるのかもしれません。

自然景観の謎

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図書館で発見して借りてみたこの本。

命式を景観としてとらえる時に、いつも「この景色はどう読む?」とかなり迷うことも多く、この本はまさにその参考になりそうです。


自然景観ってほんとに想像を絶するようなものがある。

水の流れが長年かけて山を侵食しまくっている風景だとか、くぼ地に水が溜まりそれが池のように点在している様子とか、写真で見ると美しいのとともに自然の自由さというか厳しさのようなものというか(言い表わせず)

命式をいくら景観としてとらえようとしても、どんな景観があるのかとか自然がどんな作用を起こすのかを知らなければイメージすることも難しいものだなと。風、土、熱、山、海、波、雨、気候などいろんなものが互いに作用し合うことで、いろんな条件がそろうことで、いろんな景色ができる。そしてそれもまた変化していく。

人も自然の一部であるから、同じことが言えるのでしょう。


その人の生まれ持った風景。

どうしたらその風景がより美しいものになるのか。

ども季節になるとより美しく見えるのか。


そんなことを頭に描きながら、命式を読んでいけたら楽しいだろうなと感じました。


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四柱推命がやはり存在するという実感をを子供から学ぶ

 

 

「この子は頑固やぞぉ〜」

 

「めっちゃスピーディーに動きそうやなー」

 

息子が生まれた時に命式を初めてみた時に思ったことです。

 

2歳半になった今、もうすでにありえない頑固さを日々発揮しまくっております・笑  大人でもそんな意地張らんでー!ってくらい意地っ張りです。

 

そして、普通は歩いて行くやろってくらいの短い距離も全速力で走り、スピード出しすぎて色んなところに突進してぶつかって思い切り倒れます。何度も同じことを繰り返す。多動ぎみ、いや多動です。

 

でもこの命式で生まれてるので、よく考えたらこの状態はとても自然な流れであり頑固でない方がおかしいんですよね。普通に生まれ持った命式の自然さを生きているだけなのやろね^^;

 

 

幼い頃は、誰しも生まれ持った基本命の特徴がまっすぐに出やすいようです。大人になるにつれて色んなことを経験し学び変化していく。

 

そう考えたら、子供をよく観察すると命式の特徴そのものを示しているということですね。子供の頃にすごく好きだったことが、その人が本当にしたいことであったり魂の望んでいることに近いのかも。ありのまま、だから。

 

大人になると、色んな言い訳やできない理由を作って素直にしたいことができなくなることもありますよね。なんだか余計なことばっかり考えて行動できなかったり、それは妄想なのか現実なのかも分からないほどに考えすぎたりしてしまうことってあります。

 

でも子供はとてもシンプルに生きてる。

 

嫌なことはいやだし、好きなものには飛びつく。

 

子供から学ぶことは本当に多いです。

 

 

娘にしても、やっぱり同じように命式の自然さをそのまま生きてるな〜という感じです・笑

 

この個性を知って活かせる大人になるために、好奇心を目一杯育ててあげられたらなーとその方法を模索中であります。

占いで「幸せなはずの時期」になぜかそうならないという話

四柱推命の大運からみると今まさに幸せな時期であるはずなのに、なぜか全く幸せではなくむしろ試練の方が多い、、、

 

ということがあります。

 

四柱推命の基本的な見方として、命式と大運との関係で五行のバランスが取れている時期がいわゆる幸運な時期であるとされています。

 

しかしこのいわゆる「バランスのとれた良い時期」は、実は「一般的にいわれる幸せ」であり「その人個人が思い描く幸せ」とは少しズレがあることもあります。

 

人それぞれ、

 

「何に一番幸せを感じるか?」

 

は違っています。

 

物質的な豊かさを求める人もいれば、精神的な豊かさを求める人もいるし、その二択ではなくその中でも一番求めるものはそれぞれなんですよね。

 

命式と大運の兼ね合いで五行のバランスがとれている時期は、いわゆる物質面でのバランスがとれている時期ともいえるし、それによって精神的バランスが良くなるということもあります。

 

一方、五行のバランスはいまいちだけれど命式の景観的な見方で美しい風景になっているとき、それは目に見えない満足感だったり一般的ではなくてもその人が本当にしたいことが上手くいくということがあったりするようですね。

 

幼い頃から誰かに教えられた幸せが、本当の自分の幸せと一致しないこともある。大運はいわゆる良い時期で、すべて安定はしているのになぜか幸せではないというのは「何をもって幸せか」というところによるのでしょうね。

 

良い悪い、というのは裏と表に同時に存在しているということ。

 

人生は白か黒でもなく、グラデーションのように少しずつ変わったり混ざっていたりする曖昧なものなのでしょうね。

 

四柱推命という思想体系?学問?で人間の人生を解き明かすことは、一体どこまでできるのでしょうか。

 

分からなくて不思議で、でもほんの少しだけ宇宙や自然のしくみに触れることができる方法が私にとってはこれなのかもしれません。