運命学の視点から「人間」を考える〜四柱推命と易の可能性〜

占いを超えたところにある東洋運命学の深さを実感したい占い師のブログ

日々の鑑定や出会いから実感すること

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2月4日、己亥年がはじまりました。

 

昨年の戊戌年は、土気がかなり強い年でしたね。

吉凶がかなり極端に出ていた方も多かったかもしれません。

 

水気の強まる亥年は、私にとっては行動力が高まる1年になりそうです。

 

やんちゃ息子も幼稚園に行くので、限られた時間をフルに活用して色々と取り組んでいきたいと思います^^

 

 

最近の鑑定にて、実感したこと。

 

それはやっぱり、

 

命式のいわゆる良し悪しはその人の実際の人格の良し悪しとは必ずしも関係しているわけではない

 

ということが本当に多いということ。

 

 

一見、命式に五行がスムーズに流れていて日干もしっかりした身の強い人で決してバランスが悪くない。大運もどちらかといえば見方していて、命式は貴命とまではいかないかもしれないけれど、決して偏ってはいない感じ。

 

でも、そんな一見悪くない命式や大運を持って生まれた人でも、大人として言動も行動もものすごく未熟で自分の奥様に向かって「お前の家族が嫌いだ」と面と向かって言うような人もいるんですね。しかも、妻よりも自分の母親が好きというような。

 

大人としてはどう考えても未熟です。

 

これって、人生これまで苦労しなくともスムーズにいきすぎていたからこそ、というところが実はあるかもしれないですね。

 

挫折を知らない。

 

もちろん、皆がそうではありません。

 

 

ちまたの四柱推命では「あなたは良い命式だ」とか「あなたは命が悪いので結婚できない」「命式にこの星があるから不幸になる」というようなことをいとも簡単に言ってしまう占い師の方もいます。

 

でも、命式にはその人が「どう生きてきたか」という実際のところは出ていません。その人の人格レベルというのか、魂のステージというのか・・・そういうのは一切出てこないんですよね。

 

それってやっぱり、その人本人と会って話してはじめて分かることなんでしょうね。

 

 

逆に一見生きづらそうな偏った命式の人であっても、周囲と同じでなくて苦労をしたり、上手くいかないことが多くてたくさんつまづいて、それでもなんとか生きてきた強さがある人もいる。

 

そうやって、人の痛みや人生の厳しさを学んできている。

 

そんな人もいるんですね。

 

 

命式に良し悪しはない。

 

命式が教えてくれるのは、ただただその人の「在り方」であるということ。

 

お勉強として習うことと、実際に現場の鑑定から学ぶということはまた実感が全然違うところはありますね。

 

 

2019年も、色んなことを肌で感じて学びつつ。

 

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします★