運命学の視点から「人間」を考える〜四柱推命と易の可能性〜

占いを超えたところにある東洋運命学の深さを実感したい占い師のブログ

共感するミュージシャンと自分の命式との関係性


あいみょん - 君はロックを聴かない 【OFFICIAL MUSIC VIDEO】


少し前から、あいみょんにはまっている私です。


この曲『君はロックを聴かない』をはじめて聴いたとき、この素敵な声とメロディと歌詞に全部持ってかれた感がありました。

ピュアと哀愁と激しさとドス黒い何か・・・

私の大好きなエッセンスが凝縮されてて、癒されるような懐かしくて切ないようななんともいえない感情がふつふつと。


あいみょん、なんと23歳!!

やっぱり命式が気になったのでみてみました。


印多の木火中心の命式。

「木」はバイブレーションなので、ミュージシャンには割と木気が多い人や日干の人って多い気がします。


私自身が印多なのでよく分かるんですが、命式に印の多い人は本当にフツフツと色んなことを考えます。

良くも悪くも考えます。

悩み多き人もけっこう多い。


それを上手くアウトプットできれば大丈夫だけれど、外に出せないと病気になったり暴発しやすいのが印多の特徴のような気がします。

みんながそうということではないですが、けっこう印は繊細で時に危ういところもあります。


あいみょんの曲、悶々とした感情や行き場のない感情が噴出しちゃってる感があって、それをすごくカッコ良く昇華している感じ。


ファーストインプレッションで何か感じるということは、どこか自分とその人の命式の共通性と無関係ではないような気がしています。

もちろん、通変であらわされるパーソナリティーの部分だけではなく干支の共通性など色んな部分での共感とかもあるでしょう。



実際にある出会いの中でもこういうピンとくるといいうようなことは人生の中でたまにあるけれど、向こう側の人や音楽とのそれもひとつの出会い。

命式に沿った子供のしつけや接し方

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先日ある女性の方を鑑定させていただいたのですが、その方の鑑定後にお子様2人の適性や育て方のご相談してくださいました。


その女性の方は外格の方で、若い頃から自分でしたいことを一生懸命頑張りながら持ち前のバイタリティーで事業をなさっている方でした。

子供に関するお悩みは、適性や性格、そして上の子が特に気難しく接し方に迷いがありますとのことで、上手な育て方はどんなものかということ。

そのご長男の命式をみてみると、とてもセンシティブでこだわりの強そうなタイプ。一概に決め付けることはできないけれど、育て方としては決して圧力をかけて厳しく育てることが良いとはいえず、どちらかといえば自身を持たせてあげなければならないタイプの子でした。


その子の性格やお母様の性格などを命式でみながら色々と分かることをお伝えしましたが、子育てにおいて子供への接し方は本当に子供の個性によって様々だなと実感します。

身強や身弱、通変によるパーソナリティのあり方、命式にある五行の配分や配置などの子供自身の命式や大運との関係によっても変わりますし、親子の関係性によっても変わってきたりします。色んな角度から、色んな要素をみて判断するということの難しさも実感しました。こうだから、絶対こう!ということは言えないことだってある。


ひとつ言えるのは、

幼い頃にしっかりと厳しめに基本的なことをしつけておかなければ大人になって強い自我をコントロールできなかったり、社会に適応しにくくなるタイプの子と、幼い頃はどちらかと言えば「あなたはあなたでいい」と自身を持たせてあげたり、背中を押してあげなければならないタイプの子が大まかに分けている

ということです。


必ずしも極端に偏っているわけではないけれど、人によっては適切でない関わり方によって後のちの人生が大変かもしれないというような子もいます。


子育てって本当に自分の思うようにはいかないし、本当はこうしたいけれどなかなかできない・・・っていうことありますよね。

色々と分かっていても、簡単にはいかないのが子育てというか^^;難しいです。

それでもやっぱり、我が子の性格傾向やなるべく最善の接し方などを知っておくかおかないかでは育児をしていく中で違いは出てくるのかもしれません。


なんとなくでも「知っている」ということが安心感に繋がることもあるかなと私自身の経験から思うんです。

もちろん、四柱推命で調べずとも感覚でそういうことを分かっておられる方も中にはいらっしゃると思います。


ちなみにうちの子供は、確実に幼い頃にしっかりしつけをしておかなければならないタイプです。

打たれ強かったり自立心旺盛という長所は生かしつつ、その裏側にある自我の強さをコントロールできる能力を身に付けささてあげなければならないなと今は思っています。

良い時期なのに、良くないことが起こる理由

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基本的に一面的に「良い」「悪い」ということは四柱推命ではあまりいえないこともありますが、バランスが取れているはずの時期に色んなことが身のまわりに起こるということがあります。

人生には大きい波も小さい波もあるので何もない時期なんていうのは実際にはないわけですが、調子が良いと思われる大運にいる時に起こる良くないことというのは実は身から出た錆であることも多いようです。

そしてそれは、その人にとって大きい出来事であるほど実は重要な意味を持つことであるようですね。

自分を見つめなおすための出来事

例えば、仕事の調子が良くてものすごく頑張っていてこれからどんどん昇進していきたい、というとき。しかし、仕事に没頭するということは一方で家族の事をおろそかにしてしまうということにもなりかねません。

そして、ひとつのことに没頭すると自分の健康管理がちゃんとできていなかったりすることもあるかもしれません。

その時に例えば、自分の家族や自分の健康に何か起こった場合、それはそのことについてちゃんと向き合っていきましょうというサインであることが多いということです。

「ちょっと突っ走りすぎてない?」

「何か大切なこと、忘れてない?」

という警告のような意味を持つことがあるようですね。

新しい自分になるための準備

これはいわゆる自分が「進化」するための儀式のようなものかもしれません。

一見良くないことに見える出来事でも、この場合は後になって「あれは自分にとって必要な出来事だった」と感じることも多いです。新しい自分になるためには今やり残していることを一気に片付けなければならないので、なんだか短期間にドドッと色んなことが押し寄せるように起こることがあるのかも。

私自身はまさにこの経験があるので、その色んなことがあった1年間でそれまで生きてきて捨てていかなければならないものを一気にたくさん捨てられたような気分にはなりましたね^^;

すぐに軌道修正しなければいけないという警告

これは、その人が明らかに間違った道に行こうとしているときに大きな出来事が起こるケースがあります。

人間は、厳しい環境や人生に逆風が吹いている時よりも実は調子良い順風満帆の時のほうが道を踏み外しやすいのだと思います。慢心というのはどんな人にもあるものだし、人生のどこかで大きな軌道修正を迫られることというのは1度くらいは誰にでもあるかもしれません。

起業して大成功をおさめている方がよく話されることとして、大きな事業を継続していくためには順調な時こそゆっくり慎重に歩みを進めていくということがあります。これは、長く第一線で色んな分野で活躍している方の多くがよくいわれることです。



これらは「良くないこと」に見えるけれど、結果的にこのことが起こってくれたことで自分自身が成長することになったり、大事に至るのを防いでくれていることが本当に多いような気がします。


全部がそうであるとは言えないかもしれませんが、やっぱり人生の中で起こる様々なことについて「良い」「悪い」では決められないようなことというのも多いですね。

癸亥月はこの5年間の総まとめ

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2018年11月(から12月の節入りまで)は月の干支でいえば癸亥でした。

 

この癸亥は六十干支の一番最後の干支なので、次に同じ干支が来るのは5年後です。なので、5年前の11月にも同じ癸亥月がきていたということになりますね。

癸亥の次の干支は、六十干支のいちばん最初である甲子となり、新たな5年間のはじまりの月ということにもなります。

 

なので、癸亥月から甲子月に変わるときは実は大きな変化の時になります。

 

11月はこれまでの5年間の総決算のような時期でもあったので、大きな心の変化や現実面で何か終わりを迎えたり清算のような時期だった人も多いのではないでしょうか。

 

人が大きな変化する時や成長する時というのは、なぜか体調がすごく悪くなったりすることが多いそうです。やはり変化には痛みを伴うというやつでしょうか^^:自分の心のステージが大きく変わることに伴って、身体も一緒に変化するからだそうですが。

 

今年でいえば、私は9月から10月くらいに体調の変化だけでなく、家の色んな部分の故障だったり気分のアップダウンがいつもよりあったりとなんだかソワソワしてばかりの時期でした。

 

これが変化に伴ったものだったかどうかは分からないけれど、その後思いがけない出会いがあったり、新たな場所での鑑定のお仕事を始めることができたりと、大きく変わったところはあったかなと思います。

 

12月に次の5年間のはじまりというのもちょっと不思議な感じですが、少し意識をしながらというか、どのように今後変化していきたいかを考えてみようと思っています★

 

2019年の己亥年は、私にとってはどんどんアウトプットしていく時期なのでそこも気にしつつ♪

 

 

 

 

 

 

 

生まれたときに与えられた仕事【calling】とは?

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人は生まれながらに、この世に果たしにきたある種の【使命】のようなものがあるそうです。

使命というと、なんだか社会的に大活躍するような何か大きなことを成し遂げることかなと思いがちですが、そういうことではありません。


もちろんその使命が社会的な活動である人もいれば、人によってはそれが結婚して子供を育てることだったり、家業を継ぐということであったり本当にそれは様々なんですね。

「自分がやりたいこと」とはまた全く別のところにそれがあることも多いようです。


多くは、人生の中盤以降に自分の意思とはまったく違ったところから「呼ばれる」ものであり、そしてそれに答えられるかどうかはその人の資質や意思によるものだそうです。


それを、

calling(コーリング)

といいます。


求められてやる仕事のようなものかもしれませんね。

それは必ず人の役に立ち誰かのためになることだけれど、自分の意思ではじめたこととは限らないし時には思いもよらないようなことかもしれません。

命式にはそのヒントがいくつも隠されていて、
それが命式の風景にそのままあらわれていることもあれば、色んな角度から解読していくことである一点の答えに行き着くこともあります。


callingに気づいてそれに取り組むことができれば、最初は一見それで食べていくことが難しそうに見えてもなぜだかちゃんとそれが仕事になって食べていくことができるものなんだそうです。

きっと「好きで仕方のないこと」や「なぜだか昔から続けていること」を一生懸命ひたすら取り組んでいくことで、最終的にその使命にたどり着くのではないかなと最近は思っています。


それはけっこうな時間をかけないと分からないことかもしれないし、今は見えていないけれどすぐ近くにあるものなのかもしれないですね。

その『裏側にあるもの』をみるということ

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命式をみるとき、その人のこの命式には『何があるだろう?』という視点でみてしまいがちだと思います。

この命式には「財」が多い、とかこの人は「官殺」を持っている人だ、というように。


東洋思想の基本的な部分、すべては陰陽であるというところを鑑定するときにもけっこう見逃してしまったりするんですよね。実は、その人の本質的な部分や隠れた自己のようなものは『裏側』に存在していたりするのだけれど。


例えば、命式に「財」がまったくない人って、お金が入りにくいとか貧乏になるとかではなく「財」に関して底が抜けているといえるそうで、お金が入らないときは全く入らないけれどある時期が来て急に莫大な財が自分に入ってきたりする。中途半端に財が少しだけある人よりも、お金が入るということがある。もちろん「財」はお金だけを意味しているわけではないので、今のはたとえ話なんですが。


四柱推命は4つの天干と4つの地支によって成り立っていますが、その八字のなかには存在しないけれど実は暗に存在しているということもあります。

例えば、壬だらけの命式には実は裏側には丁が存在しているというような。これは、壬の干合の相手が丁でありその結びつきはとても強いもので対極同士のものだから。壬が丁を呼ぶ、というようなイメージかなと解釈しています。

十二支でも同じように、申、酉、亥、子の地支がある命式だとすれば、この命式には「戌」が暗に存在している命式ということができますね。それは、十二支の順番で考えると分かりますよね。酉の次は戌、戌の次は亥なのであおの間に入るということです。なので、この地支のならびをもつ人は「申 酉 戌」の金の五行がとても強い命式と読むこともできるんですね。


この『裏側にあるもの』を読み取ることができるようになったら、鑑定を一面的なものとして目に見える部分だけ読むのではなく、命式から「感じ取れるもの」を深く読んで球面的な全体をみる鑑定ができるようになるのだと思います。


白か黒か、

良いか悪いか、

得か損か、


のような見方をする占い師さんはけっこう多いように感じます。

でも、人間というのは存在自体が実は曖昧なものであり、こうであると決めつけることができないはずなんですよね。一つのこの世に生まれた命があり、その生まれ持った命式に作用する後天運は常に変化していくし、それに伴い自分自身の心も体も少しづつ変化していくのだから。


そのとき、その人がどういう選択をしたか?


という不確定な要素もそこには加わってきます。


鑑定をするということは、クライアントの人生をただ眺めるのではなく、ちゃんとその人の人生を「感じる」ものなのかもしれません。

『禅』のシンプルな考え方~いらないものを捨てていく~

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『禅』とは禅宗や座禅の略であり、修行としてはとにかく坐る(坐禅する)ことで研鑽し、人間が生まれながらに持つ「本来の面目」に立ちかえることを目的としています。

でもこの『禅』を少しだけ勉強してみるとわかるのは、もはや「宗教」という枠を超えているような気がするんです。


アップルの創始者スティーブ・ジョブズなど、海外でも禅は広く愛されています。

なぜ、「禅」は国を超えて時代を超えて愛されるのでしょうか?

『禅』の考え方

キリスト教イスラム教などの一神教は「神」という絶対神がいて、神がすべてを創ったのだから敵であっても愛しなさいという考え方です。

しかし、

仏教にはそもそも絶対的な「神」はおらず、宇宙に存在するすべてもののは相対的に存在する

という考え方に基づいています。

相対的というのは例えば、気温20度の部屋があったとして、そこよりも寒いところから入ってくるとその部屋は「暖かい」けれど、そこよりも暑い30度くらいのところから入ってくるとその部屋は「寒い」ということになる。比較するものによってその部屋がどういうものかが変わる。

そういうものが「相対的」ということです。


ひとつの見方がある、しかしそれがすべてではない。


というのが「禅」の考え方で、禅問答にも通じるところがありますね。

宗教は「自分の信じるものが絶対だ」と思い込んだ時に、相手を排除しようとして戦争が起こります。

でも「禅」にはそれがなく、禅僧ですら「禅がすべてではない」とおっしゃる方が多いそうです。ルクセンブルク大司教でさえ「これからは、キリスト教だとかイスラム教だとか仏教だとか、そんなことは重要ではない。

大切なのは、宗教心に基づいてそれがどれだけ社会のために、人の為になっているのかということである」と考えている。

もう、枠に囚われて生きる時代は終わったのだなと思います。

『禅』に学ぶ心が自由になる考え方

仏教の流れの中にある「禅」ですが、仏教といっても宗派によって少し考え方は異なっているようです。

「死後」の極楽浄土を求めるものもあれば、禅宗のように「今ここに生きている自分」は何かと坐禅することによって問い続けるものもあります。


宗教というイメージだけでいうと「死後の世界」に何かを求めるイメージがありますが、「禅」は生きている人間のためにあるものといわれています。

そして「禅」のスゴイところは、教えを忠実に実行しながらも「禅」自体に「とらわれない」というところ。


よく「自分探し」や「自己実現」といわれたり「自分」を持っている人が素晴らしいと考えられがちだけれど、禅の道は「自分」というものはそもそもなく、坐禅によってその自己すら一度壊して捨てて実体のない「自分」を見つけることだといわれます。

難しくてなかなか理解はし難いですが、坐禅によってこれまで生きてきた中で身にまとってきたいらないものを取り除き、より心豊かに生きていこうというという考え方なのです。


神秘主義に囚われることなく、死後の世界も語らず、ただ坐っていらないものは捨てていく。

そんなシンプルな「とらわれない」考え方は宗教を超えて現代社会に寄り添っていると思うのです。

生きていると、どうしても「自分のやり方」なんかにこだわって、大人になるにつれ受け容れるという心を失っているようなそんな気持ちに私自身なることがあります。 

育児をしていると特にそういうことが多く、本来の意味や目的を見失ってまさに目の前のことや自分のことしか見えなくなってしまうことが。


心が不安になると、何かを取り入れようとしたり持っているものを増やそうとするけれど、実は禅の考え方からすると「いらないものを捨てていく作業」こそが必要なのかもしれない。