運命学の視点から「人間」を考える〜四柱推命と易の可能性〜

占いを超えたところにある東洋運命学の深さを実感したい占い師のブログ

良い命式?悪い命式?

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紫陽花がきれいな時期になりましたね。


京都に住む私は、
宇治にある三室戸寺に毎年紫陽花を鑑賞しに行きます。

三室戸寺は6月下旬から7月くらいにかけて蓮の花も観ることができるので、その時期に行くことが多いです。

蓮の花はすごく好きで、泥水の中からあんなに大きな美しい花を咲かせるところが神秘的というか。
水上に咲いている花というのも珍しいですよね、花の中では。


四柱推命でみる様々な命式の中には、割とバランスが取れた命式と極端に偏った命式があります。

単純にその2種類だけではないですが、
かなり大まかに分けるとバランス型とアンバランス型があるでしょうか。


五行が割とバランス良く存在する命式を持つ方というのは、
考え方も個性もあまり偏りがないため割と生きやすいといいますか、人にも嫌われにくかったり多くの人が接しやすいと感じるような性格の方は多いと思います。

大運の巡りにもよりますが、
波風の少ない割と穏やかな人生になる傾向はあります。

これは、良くも悪くも「普通」ともいえます。
なので、普通に生きていく上では利点の方が多いと一般的にはされているかもしれません。


一方、五行の偏りが激しければ激しい人ほどいわゆる「個性的な人」「変人」といわれる傾向にはあります。

その命式の偏りを上手く生かすことができれば「輝く個性」になりますが、
悪く出ると「変わった人」「理解できない人」ということにはなりやすいです。

その偏りが大きい程いわゆる「普通」からはかけはなれていきますが、
その分人ができないことができたり一芸に秀でていたりすることがあります。

「普通」「常識」の枠から外れやすいのである種の生きにくさはあるといえます。


四柱推命で「良い命式、悪い命式」といわれたりしますが、
命式そのものに良し悪しは実はありません。

貴命といわれる命式がどこぞの四柱推命にはあるようですが、
何をもって「貴」であるかはその人自身が決めるもので一般的な解は存在しないと私は思っています。


昔の日本ならまだしも、
今のように自由で多様性に富んでいる社会の中では「正解」そのものが曖昧です。

教科書通りの正解は、もはや正解ではない。


自分に与えられた個性をどう生かしていくか?

どうあるべきかではなく、どうしたいのか?


ということなのだと思います。


命式の偏りはかけがえのない個性


偏りまくった命式の私を救ってくれたのは、

やっぱり師匠のこの言葉だなあと何度も実感します。