五行の「土」にまつわるあれこれ
五行シリーズの最後は「土」です。
土は凝集性(集める力)をもっており、大地や山には人が集まってくるように自分からは動かないけれど何かその魅力で惹き付けるというような意味があります。
土が命式に多い人は、命式にもよりますがフットワークが重めでどちらかといえば待ちの姿勢の人が多傾向にはありますね。でも、自分を磨くことによって多くの人が寄ってくるというようなこともあります。土が多いと若くても落ち着いた雰囲気の人が多いのも特徴です。
五行の「土」は、
季節と季節の間の土用を意味し、「中央」という意味もあります。
色で言えば「黄色」
身体の部分で言えば、胃や消化器系にも対応しています。
土には「育むけれども腐らせる」という相反する性質があり、それは母親的な質があります。
命式で金と土があり、そこで土が多すぎると「埋金」になってしまい金は自分の本来の力を発揮できなくなります。日干「金」の近くに天地に透出した土があるとそれは「母慈滅子(ぼじめっし)」の命といい、母親の愛情が子供にとっては良くはたらきにくい命となります。
金は土に埋まってしまうことを一番嫌います。
「戊」(陽の土)
戊(つちのえ)は、陽の土でありイメージとしては「山」です。
懐が深く大山のように寛容に誰でも受け容れるけれども、自分独自のテリトリーがありそれを犯してくる人がいると激怒します。ちゃんと自分の範囲というものを持っているんですね。
自己中心的なところもあるけれど、どっしりした安定感があり、根がある戊は特に頼りになるダイナミックな感じの人が多いですね。
戊が命式に多い場合は、甲によってしっかりと整えられることによって自制心のある人となります。そして、戊は過剰な水の勢いを止める防波堤のような役割もできます。壬が多すぎる命には戊が役立ちます。
冬生まれの戊と春や夏生まれの戊の人では、一見のイメージはずいぶん違います。
通変でいえば「偏財」に対応しています。
「己」(陰の土)
己(つちのと)は、陰の土でありイメージとしては「畑」や「平地」など平らな場所にある土です。
戊と違って平地の土であるため、親しみやすく庶民的な感じの人が多いのが特徴です。腰が低く勤勉で、一般的な価値観を大切にする人も多いでしょう。
でも実はとてもガンコなところもあり、自分なりのルールがちゃんとあるのでそれを守らない人にはまったく心を開きません。見た目では分かりにくいですが、実は己は十干のなかで一番頑固なところがあります。
己土は湿った土であるため「壬」や「癸」とは相性が悪く、命式においても近くにあって水によってドロドロになってしまうことを嫌います。
通変でいえば「正財」と対応しています。
土は五行の中でも独特な存在で、陰と陽、そして木火金水をすべて含んでいるのも特徴的です。
いまだに「土」についてはあまり本質的なところが掴みにくいような、なんだか不思議で謎が多い気がします。
他の四行のようなそれぞれの勢いのようなものはなく、なんでもすべてを飲み込んでしまうような底知れないものがあるような。
五行シリーズの次は、十干や十二支についてももっと勉強していきたいですね。
「自分と同じ熱量の人が同じ世界に生きている」というお話
この世界にはたくさんの人が生きています。
けれども、
実際は皆がおなじ世界に存在しているわけではなく、実は生きているこの世界で出会えるのは自分と同じ熱量を持った人だけなのだそうです。
熱量というのは、その人の人生に向き合う姿勢であったりひたむきさであったり、それはいくつかの意味が含まれていると思います。
熱というのは、エネルギーでもあるし一生懸命さのようなものかもしれません。
生まれてから死ぬまで出会える人の数って、存在している人の数からしたらほんのほんのほんの一部にすぎないですよね。しかも出会える人は全部自分で選べるわけでもなく、単なる偶然で出会っているのだとほとんどの人が思っています。私も、出会う人がすべて偶然ではないにしても偶然であるような人がほとんどだと思っていました。
だって、全部が必然のようには思えなかったから。
出会ってもすぐに合わなくなったり、通りすがりのような人もいるわけだし。
尊敬しているある方がおっしゃっていたことですが、
「人は自分と同じ熱量の人に惹かれる」
のだそうです。
一生懸命生きている人は、同じように一生懸命生きている人に惹かれるし、出会うことができる。
人は皆同じひとつの世界に生きているようで、実は同じ場所にいたとしても熱量が違いすぎる人同士はお互いが反応しないのだという。
そういわれてみると、なんだか分かる気もする。
きっと今、自分の周囲にいる人を見渡せば、自分の位置というか自分の在り方そのものが分かるのでしょうね。
ちょっと怖いハナシだけど、
「人は鏡」だというのは本当なんでしょうね。
熱量の話でいうと、人が持つ熱量というのは人にそのまま伝わるものですね。
この前、あまりに腰が痛いので格安のマッサージに行ったんですが、正直格安なので期待はしていませんでした。なんとなく「ほぐれたわ~」と思えたらいいかなと思っていたので。
施術してくれたのはまだセラピスト歴1年の若い人だったんですが、最初の一押しでかなり上手なんだと分かりました。技術云々は私には正直ちゃんと分からないけど、たしかに凝っているところをピンポイントで押してくれるし、ヒアリングをしながら丁度良い力加減でそんなに無駄話をすることもなく施術してくれる。
確実にお客である私の身体を良くしようという気持ちみたいなのがじわじわと伝わるんですよね。
あれって本当に不思議だけれど、たしかにそういうのって分かる。
まあこれは「自分との相性」のようなものもあるかなとは思うけれど。
今までマッサージには色んな所へ行ったことがあるけれど、ベテランぽい人で全然やん!とツッコミたくなる人もけっこういました。
それもやっぱり熱量が無関係ではないはず。
言葉や目に見えるもの以外で伝わることとか、何か人の内側のものが自然に伝わるとうことを実感したなあ。
というお話でした^^;
五行の「木」にまつわるあれこれ
五行の中では唯一の有機物(生き物)なのが「木」です。
木は、
方位でいえば「東」
色でいえば「青」
季節でいえば「春」
木が命式の特徴となっている人は、顔のかたちでいえば骨ばったようなかたちの人が多いです。
命式に「木」が多い人は安定志向で、保守的な人が多いようです。
「それは安全であるか」というようなことが物事を決めるときの基準だったり。新しいことを次々始めるよりは、現状維持の方向に行こうとするという感じでしょうか。
なので、木気を多く持つ人はひとつの職場で長く根気良く働ける人が多く、安定感のある人と評価されやすい傾向にあるでしょう。
木は金とは真逆といえますね。
金はハッキリバッサリ白黒つけたい新しいもの好きさんが多いですが、木の人は継続的な安定を好みます。
なので、木の多い人はどこか安心感があり優しい雰囲気のある人も多いですね。
物事をハッキリ決められないという優柔不断さが顔を出すこともあります。
ちなみに、命式が「木」と「金」が両方多い人はもちろん両面を併せ持つとも考えられますが、とても現実的な考え方をする人が多いようですね。
逆に「火」と「水」が命式に多い人はとても感覚的であったりドリーマーのような人が多い傾向にはあるかもしれません。
これらは命式中の五行でいえばそうですが、この五行が命式で通変としてどのように出ているかによってもずいぶん違ってきます。
通変は社会的なパーソナリティとしての自分をあらわすので、社会的に出てくる性格をみる時にはかなり通変の見方も加えていかなければなりません。
「甲」(陽の木)
陽の木である甲は、天に向かってまっすぐ伸びる大木のイメージです。
実直で時に頑固で融通がきかないところがあります。大地にしっかり根を張っている甲木は、持続力のある安定感抜群の人が多い気がします。
根がない甲木は、用材として人の役に立つような生き方が使命のようなところがあります。
大勢で群れるよりは、単独で地に足ついた生き方がしたいと思う人が多い傾向です。
「乙」(陰の木)
陰のもくである乙は、横に群生する植物のイメージです。
横に群生するというのは、ツル草であったり野の花々のようなイメージですね。
イメージ通り、優しく協調性に富んでいる人で人と争うことは好みません。グループのリーダーというよりは2番手の参謀的なポジションが合っています。組織の中だと、人と人との間を取り持つ役割は得意分野ではないでしょうか。
要領が良く時にずるさも顔を出しますが、世渡り上手ともいえますね。
孤独を嫌い、常に人と一緒に何かをしたい人が多いと思います。極端に強い乙の人はこの限りではありませんが、身強であっても乙木の場合は人当たりが良くあまり敵を作らない傾向にはあると思います。
木は「福分」を意味し、
木気が命式にある人は心の安定感があり「自分はこれでいい」という自己肯定感にも繋がっているようですね。
アンバランスになると、生真面目すぎたり新しいことに取り組むことなく保守的になりすぎる傾向も出てきますが・・・。
でも、
命式の偏りこそがその人の個性
という私の先生の言葉が、色んな命式をみていく中で日々本当に最近は実感しています。
運が良い悪い、
命式が良い悪い、
ではなく、
やっぱり「どう生かしていくか?」に四柱推命の意義があるのでしょうね~。
命式の日支が教えてくれること~恋愛・結婚の相性や配偶者との関係性~
四柱推命では、命式の日支は配偶者の場所ともいわれます。
もし自分が結婚したら配偶者との関係性はどんな風であるとか、配偶者のイメージ的なもの、性的相性、などひとつの場所から色んなことを読み取ることができます。
日支はどの十二支で、どのような蔵干(地支の十二支の中にある十干)が存在しているか、それは五行でいえば何であるか、などによって日干の自分自身とどのような関係になりやすいか、またはどのような関係を望みがちかなど。
命式全体をみて、日支がとても良いはたらきをしているならば自分にとって良い配偶者だったりスムーズに関係を作れる配偶者に恵まれやすいということもいえるでしょう。
恋愛においての恋人について見るときは年支をみます。
以前にも書きましたが、相性というのはちゃんとみるには本当に複雑なもので、その本人がどんな関係を望んでいてどんなことに幸せを感じるかによっても全く違うということになります。
例えばですが、大きく分けて「幸福感」ということでいえば【精神的な幸福を求めるタイプ】と【物質の豊かさに幸福を感じるタイプ】があり、その比率も人によって様々ですよね。その人がどっちに傾いているかというところは絶対にみないといけない。
鑑定する側の幸せの定義が皆に当てはまるわけはありません。
鑑定する側としては、本当にまだまだもっと多角的な視点をもたないといけないなと実感しますし、占いの知識だけでなく色んなことに通じていないと見えないところがあるなあと。
もっともっと人間としての自分を広げないとと思う次第です。
ちょっと話が違うところに行ってましたが、配偶者との関係をより良くしたい時や結婚前に「この人とやっていけるかな?」と思ったときなんかは相手の命式の日支は色んな有益な情報を与えてくれると思います。
私の場合でいえば、日干が日支から生じられている関係性なので、自分が配偶者に優しくされたいというか甘やかしてもらいたい、自由にさせて欲しいというような意識がたしかにあります。
で、実際そのようにしてくれる配偶者を無意識にかどうか、選んでいますね(笑)
私の弟の奥さんは、日干が日支から剋されているため色々と注文をつけたり妻としての役割をきっちりこなすことを求めてくる夫というイメージ。弟は本当にそのままそういう人です(苦笑)
なるほどなーと思いつつ、単純に日支という場所でみるだけでもあなどれないところがあると実感しますね^^;
日支というひとつの場所からでも色んな多くの情報を拾えるし、命式の八字それぞれからであればもっと多くの情報が詰まっているんですね。
東洋の思想は奥深い。
四柱推命は宇宙そのものだなと思う。
五行の「金」にまつわるあれこれ
今回は、五行の「金」について。
「金」は・・・
季節でいえば「秋」
方位でいえば「西」
色でいえば「白」
金には「分ける」性質があります。
金が命式に多かったり特徴的な人は、好き嫌いがハッキリしていて論理的な思考をする人が多いです。スピーディーで決断力があるけれど、それゆえに行き過ぎると冷たい人のように周囲から思われることも。切換えが早いのも特徴です。
この対極の性質として「木」があります。これについてはまた後に書きます。
時代の変化に敏感で、刺激志向です。
金は本質的に「光りたい」ので、土に埋まることを何よりも嫌います。
命式で日干金で周囲が土だらけであったり、しかもそれが天干地支に透干していたりすると母親との関係性が普通ではなかったり問題があったりすることもあります。
十干でいうと、金は陽の金である「庚」と、陰の金である「辛」の2種類に分かれます。
「庚」
まだ精製されていない荒削りの金です。
陽の金なので、男性的でリーダーシップをとることが得意な人も多いです。単独行動を好み一見は物静かな人が多い気がしますね。
しかし、もともと土から出てきたまだ鍛えられていない金であるため火気によって鍛錬されていないとあまり本領を発揮することができません。特に「丁」によって鍛えられた庚は社会的に活躍しやすいといわれます。
色んな方を見てきて、上手に鍛えられいない庚の日干の人はけっこう精神的に脆い人が多いような気がします。有名人の命式なんかでは薬物中毒の人も数人見ました。激しさの中に脆さもあるからかなと。
通変でいうと「偏官」の性質に当てはまります。
「辛」
宝石など小さくて洗練された、柔らかい金のイメージです。
プライドが高く、常に自分が輝ける場所を求めています。十干のなかで一番神経質で、こだわりが強いため少々扱いにくい性質ではあります。
繊細で気がまわるタイプなので、異性から大切にされるタイプともいわれます。
水で洗われることを好み、辛の場合は身弱であってもあまり同じ「金」に助けてもらうことを好みません。
通変でいうと「正官」の性質に近いです。
なんだかドライであまり人間味のないようなイメージの「金」ですが、理的で冷静なこの性質は大切なものでもありますよね。
日干が「土」で食傷(自己表現)が「金」の人のなかには、やはり自己表現の仕方が金になるのでズバッとものを言うタイプやちょっとキツい物言いになる傾向もあるかもしれません。
良いところを挙げるなら、ズバズバものを言うけれどそれがまったく悪意のない場合が多く、尾を引かないさっぱりした性質であるともいえますね。
あくまでもこれらは基本的性質なので、命式によって本当にそれが千差万別に出てくるということを最後に書いておこうと思います。
「火」だからこう、「金」だからこう、ということだけでは決められないものです。
命式や大運に示されていないもの、
それは、
その人の心の次元
です。
【己亥年】2019年はどんな1年になる?
あけましておめでとうございます。
暦の上では2月4日から己亥年になるわけですが、元旦ということで社会的に2019年はどんな1年になるかということを考えてみます。
2018年は戊戌年で、陽の土が重なっている60年に一度の土まみれの年でした。
命式や大運で土が忌になっている人にとってはけっこうキツイ1年だったはずです。日干が何であるかというのはここでは関係なく、今自分がいる季節や元々の命式の構成により年運の喜忌が変わります。
また、日干の強弱によても変わります。
極端に土が強い年(しかも乾燥した土)だったため、有名人でも亡くなった方が多かったような気もします。自然災害も多かったですね。
2019年は己亥年。
水気のある土である己と、水が本気(蔵干)の亥の組み合わせですね。土だらけの2018年とはまったく違った様相の1年になるかもしれません。
社会的にどんな雰囲気の一年になるかを探りたい時、甲を人(MAN)の象徴としてその年の干支をみていくという方法があります。
そこから考えてみると・・・
なんとなく、戊戌年よりは和やかさが感じられる気がしますね。
人々の気持ちが向く先は、本当の意味で自分にぴったりのパートナー探しであったり、知識を吸収して現状を「改革」していくこと、などが人々の心の向く方向になるのでしょうか。知的側面で地道な活動をしている人が脚光を浴びそうですね。
そこには主体性があり、活動的な感じがありますね。なので、流行するものとしてはそれぞれの個性を重視した学びや知恵を提供してくれるものであったりするのかな。
マイナスな方面に考えて見ると、己が亥の水にまぎれやすいため、世の中的に異性関係のドロドロのような性の問題であったり、お金の問題がクローズアップされたりする可能性が考えられます。
備忘録的にここに書いておいて、2019年の終わりごろにどんな一年だったかをまた検証してみたいと思います。
五行の「水」にまつわるあれこれ
五行の「水」は陰陽でいえば陰であり、
低きに流れていく「潤下の性」をもつといわれます。
「水」の特徴としては、やはり水はかたちを変えながら流れていくため「柔軟性」に富みどんな場所にも適応していく能力にも繋がります。
方位でいえば「北」
色でいえば「黒」
季節は「冬」
水は流れてこその水であるため、命式中で水が過剰にせき止められていたり火が多すぎて干上がってしまうと「水」らしさが発揮できなくなります。
通変でいえば「印」に対応しているのが五行の水行になるので、
水が特徴的に命式に出ている人のなかには、自由人で一箇所に留まっておらず旅人のような人もいます。
偏印は海外との関わりも深いので、バックパッカーのように気ままに海外を旅するなんて人も。
水は「知識」に関わりが深く、学ぶことにも関係があり習得能力は抜群。
四柱推命で水が良く出てこない時は、性格の暗さや陰湿さとして出てくることもあります。
水は万物のはじまりといわれ、木が育つために必要なもの。
水行は「壬」と「癸」の陽と陰に分かれます。
【壬】
イメージでいうと、大河や海などのダイナミックに流れる水です。
通変でいえば「偏印」に対応していて、斬新なアイデアや行動力はピカイチな人が多い気がします。
陽の水なので、やはりその行動や言動も「癸」に比べてダイナミックで大胆な傾向にはあります。
一見は柔和な雰囲気だけれど、策略と練ったりすることが得意な人もいます。
【癸】
イメージは「雨」
細やかで繊細、自分の世界観を持つちょっとつかみどころのない人が多い気が(皆ではありません)
通変でいえば「印綬(正印)」に対応しています。
大器晩成型で歳を重ねるほど味が出てくる人が多いのは「癸」の大きな特徴です。
壬のようなダイナミックさはないけれど、緻密さがあり知的な雰囲気も。
日干癸の男性や俳優さんは、ミステリアスでなんだか魅力的な人が多いです(めっちゃ私見)
変化が激しく柔軟性が求められる現代では、きっと水の性質はとても生かせるものだろうと思います。